中世の美乳 理想のバスト ~マリーアントワネット~
封建制が完成してキリスト教が定着した中世になると、
キリスト教の貞操観念の強さともあいまって、
いっそう一般の女性は身体を隠すようになりました。
王侯貴族の女性の間では、
ファッションとしてコルセットが流行り、
ウエストを気を失うほど締め付けるようになります。
コルセットはもともと、防寒の役目を果たす衣料でした。
でも、ウエストを細くすれば、バストとヒップが強調されたので、
ファッションとしてどんどん暴走していきます。
また、当時の華麗な王侯貴族など上流階級の女性は、
自分自身で子育てや母乳をやることを、下賎な行為とみなし、
美しいバストの形が崩れると嫌いました。
当時の絵画に残された、
思春期の女の子のような
「小ぶりでおわんを伏せたようなバスト」が、
富と血筋のステイタスにもなったのでしょう。
今とは違う価値観ですが、
当時でも、美しいバストラインが賞賛され求められてたことがわかります。
王妃マリーアントワネットは、
宮廷一美しい乳房を持っていると評価され、
その乳房をかたどったボウルが
パリのセーブル美術館に存在しているらしいです。
「ある日のこと、親しい仲間うちで、
この宮廷にいる貴婦人の中で、
だれの乳房がいちばん美しいだろうか」
という議論に花が咲いた。
この議論で一等賞がマリー・アントワネットに
満場一致で授けられたのは言うまでもない。
なぜなら、もし今日の君主の妃がすべて、
模範的な刻国母、貞節の鏡であるなら・・・・
スペインの国王の寵妾イザベラでさえ、法王から貞節のバラを授けられた・・・・、
ギャラントリーの時代では、文句なしに、
王妃がいちばんの美人であったのは、あたりまえである。
王妃の乳房が一等賞になったという、
この高貴な競争をたたえ、これを永久につたえるために、
マリー・アントワネットは、世界一といわれたじぶんの美しい乳房を、
石膏にとらせ、それから芸術的な模型をつくることをゆるした。
この模型は、じつは王妃のゆるしをえて、
王妃の美しい乳房に捧げられた記念碑であった。」
王妃の乳房を本当にかたどったものかどうかわかりませんが、
そのボウルを見る限り、見事なおわん型の美しい乳房です。